わたしにとっての創造共育 わたしにとっての創造共育

『その先にあるもの』覚王山プレイルーム支部長 勝田潔

今から29年前、私は大学の卒論で「日本の幼児教育における創造性開発」をテーマにしました。その調査のためにインタビューさせていただいた専門家のおひとりが和久先生でした。
童具館での面談時、先生の全身から満ち溢れるようなエネルギーに私は圧倒されました。帰宅したその晩から録音テープの書き起こしを始めると、先生の言葉の中に自分がずっと探し求めていた答えがぎっしり詰まっていることに興奮が収まらず、レコーダーから流れる一言一句を聞き漏らすまいと、何度も再生とリピートボタンを押し続けました。
大学生になる前の私は、世界から戦争や犯罪が無くならないことや、他人を傷つけたり不正や怠慢な行動をしたり、愚痴と不満を垂れ流すような身近な人が許せないという、いわゆる「純粋真っ直ぐ君」でした。
中学、高校では、友人や先輩後輩、果ては教師の方々に対しても、勝手な正義の物差しで批判をしたり、悲観に暮れたりする傾向が強くなっていきました。
しかし高校3年になる頃、突然、無気力感に襲われ、何から何までやる気が起きなくなってしまいました。当時の私にはその原因が全く分かりませんでした。
大学生活では一変して、大上段に正義を振りかざす気持ちが無くなり、中高時代とは逆に、友人達との親密さや信頼関係の世界にたっぷり浸ることができ、社会性を獲得するという意味で、私にとっては大事なリハビリの時期になりました。しかし同時に、社会を良くしようという気持ちは小さくなり、現実的な生き方を選ぼうとしていました。
それでも、どこかで理想の社会を諦めきれなかった想いが、和久先生との出会いにつながったのかもしれません。
先述の卒論のインタビューをさせていただいた当時、最も私の心に響いたのは、
「人間が究極に求めるもの、それは、"愛と自由"なんだよね…」
という和久先生の言葉でした。
愛の領域については、自分や他者を受容する感性の働きとして深く体感できたのは、私が結婚して家族を得てからのことになります。
しかし自由の領域については、その時はっきりと自覚しました。心の底から「やりたい」と願うことが、成り行き任せの"受動的な自由の享受"ではなく、情熱を伴う"能動的な自由への希求"であると理解した時、「目からウロコとはこのことか!」という感じだったのです。"能動的な自由への希求"を持つことを、私が"主体性"と置き換えて理解するに至ったのも、何年か後のことです。
あの無気力感に襲われた高校3年生の時、他人を批判する物差しが遂に自分に返ってきて、正義を振りかざすだけの自分が嫌になっていました。「こうあるべき」、「ねばならない」という強迫観念に縛られ、情熱を持って能動的に何かに取り組むことができなかったのです。私は、「自分は何をしたいのか?」という、本当の課題を置いてきぼりにして、見て見ぬ振りをしていたのです。その矛盾が無気力感として溜まり大きくなったのだと悟りました。
さらに、大学当時の私は社会学を学んでいて、日本の高度経済成長期の最中に、海外の人々から、「顔の見えない日本人」、「エコノミックアニマル」と言われていた状況に問題意識がありましたが、その理由も、民主主義の"自由"の意味を履き違えた日本人の"主体性の欠如"にあると理解できました。経済成長のために優先される合理性、煽られた欲から生まれる損得勘定が蔓延る社会にあっては、日本という国(主体)が本当の自由を得るためにどこに向かいたいのか、というビジョンが生まれるわけがありません。
和久先生に出会った後、幼児教育の業界に入りました。そして創造共育をライフワークとして選択してから約20年が過ぎます。その子らしく生きるための"主体性"、"共感性" と"創造力"の涵養、そして、子どもを見守る"受容"の精神が本当に大切であることを実感しています。
その私が現在関心を持っていること、それは、地球規模の気候変動や政治的秩序の混乱などが続くと予想される未来を、子ども達がこの先どうやって乗り越えていくのかということです。
それから世間では、「個性」や「自分らしさ」、「やりたいことを仕事にする」、「それぞれの幸せを追求する」等の価値観の変化が起きていることを実感しますが、果たしてそれが今後、教育界では偏差値に置き換わる新しい物差しにならないだろうか、という心配です。個性が人の優劣の物差しになることは、個を尊重することとはまったく矛盾するからです。"創造力"についても、個人のエゴのために使われる力であって欲しく無いと思っています。
さらに、コロナ禍によって激変した生活は、これまでの「何事も無かったかのような生活」の意味を変えるものになるでしょう。特にインターネットを通じた人とのつながりは、現実の人とのつながりや絆について、特に子ども達にとっては、集団の中で友達と一緒に遊んだり学んだりする経験について、私たちの想像を超える程の価値観の変化があるかもしれません。環境や資源、経済や政治の問題、コロナ禍によって変化した「人とのつながり」、その他、先送りされてきて待ったなしの諸問題について、それらと向き合うためには、これまでよりももっと高度な「感性と知性の統合」が必要になってくるのではないでしょうか。
この時代に"愛と自由"を獲得する冒険に挑む子ども達に対し、創造共育を志す者としてどんな応援ができるのか。"つながる"人達と共に考え、実践していきたいと思っています。

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